「人生山あり谷あり」が9割つらい件

こんにちは、たくです。

 

外国で言語も違えば文化も違う環境で暮らしていれば、もちろん辛いことなんて多々あります。

 

そんな時にボソッと自分自身に呟く言葉だったり、信念にしてる言葉がいくつかあって、その内の一つが「人生山あり谷あり」っていうことわざです。

 

人生山あり谷あり

僕の中でこの言葉は「辛いこともあれば良いこともある」っていう意味だと思っていたんですよ。

 

割合で言ったらだいたい半々くらい。

 

だから辛いこととかがあった時に「次は良いことあるよ」って意味で使うのかと思っていたんですよ。

 

でもよく考えると

 

いや待てよ?

現実的に考えたらほとんど辛いことじゃない?

 

って思ってしまったんです。

 

もちろんことわざですから比喩だってことは分かった上で、でももし本当に自分が山と谷にいた時のことを考えてみます。

 

谷とか山って定義やらで変わってくるとは思うんですけど、あくまで僕のイメージです。

 

まずスタートは山からにします。

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やけにラフな格好の彼は山から谷に向かって降りてる途中です。何もない谷底に向かって山道を下っているこの状況は言うまでもなく「辛い」部類ですよね。もしこの下山が家に向かってるとかなら話は違いますが、そうじゃないです。

 

そしてやがて彼は谷に着きます。

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やっと山道が終わったと思いきや谷底もきつい道のりです。谷と言えば川が流れてるイメージがあったので川を描きましたが、川じゃなくたって足場が悪かったりします。また、谷底からの良い景色っていうのもあんまりイメージできません。なによりもこれから待ってるのはまた過酷な山登りです。よってこの状況はまだ「辛い」ままです。

 

そして彼はまた山に登り始めます。

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僕はオーストラリアでスカイツリーと同じくらいの高さの山に登りましたが、それだけでもかなりキツかったです。なのに、山を下りて谷底を渡ってまた山に登っているんです。きつくない訳がありません。よってこれもまだまだ「辛い」ままですね。

 

最後に彼は山頂に着きます。

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山頂は空気も景色も綺麗です。僕のイメージでも登山の疲れが一気に吹っ飛んで努力が報われる瞬間だと思います。よってここは「幸せ」な場面です。

 

実際に僕が登山した時、山頂は本当に最高でした。

 

これがその時の写真です。

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達成感もあったし、ダイナミックな景色に感動しました。よってここは「幸せ」な場面です。

 

どうですか。

 

やっと最後の最後で「幸せ」がやってきました。

 

でもその「幸せ」を掴むためにかなりの間「辛い」思いをしてますよね。

 

山頂に滞在するのなんてせいぜい1時間、多くても2時間くらいでしょう。

 

その1~2時間くらいの為に何時間も費やす訳です。

 

ほらね!

 

人生は辛いことばっかりなんですよこのことわざによると。

 

今まで辛いことがあると「次は良いことあるぞ」と、この言葉を自分に言って落ち着くことがありましたが、どうやら間違っていたようです。

 

ことわざの意味

最初から調べろよって話ですが、気になったのでこのことわざの意味を調べてみました。

 

どうやら二つの意味があるそうです。

 

①良いこともあれば悪いこともある。

②人生には苦労がついてまわる。

 

えええええええ?

 

まさに僕が思ってた疑問通りの意味もあるんだとか・・。

 

意味も知らずに使っていた自分はアホでした。

 

でも待てよ?

物は考えようです。

 

実は最後に載せたイラストには続きがあります。

 

彼が最後に登った山頂から見た景色はこんな景色でした。

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がんばって辛い思いをして山を下り、谷を渡り、また山に登った彼は宝の船と宝の地図を見つけたのでした。

 

もし山に登っていなかったらこの景色は見ることができません。

 

山頂に着いたときの「幸せ」から、宝を見つけた「幸せ」、さらに宝に向かうまでの下山も「幸せ」になります。

 

さらに、もしかしたら下の谷から見える景色はこんなに美しいかもしれません。

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そしたらまた「幸せ」が続きますよね。

 

つまりどこに「幸せ」が転がってるのかも、「不幸」が転がってるのかも分からないんです。

 

そして長い間生きていればそりゃ「幸せ」の前に「不幸」があるのも当たり前です。

 

あるいはその全く逆もありえますよね。

 

いくら山に登っても谷に下りても「幸せ」が無いかもしれません。

 

この宝の船だってたまたま見つけたけど、行ってみたら既に中に人がいるかもしれません。

 

宝の地図が本当に宝の在りかを指してるなんてドラマやアニメですら滅多にありません。

 

もしそうなったら彼は「不幸」でしかない訳です。

 

だから、なんだって物は考えようなんですよ結局は。

 

つまり

 

何が言いたいのかと言うと

 

僕が辛いと感じた時にこの言葉を自分に言い聞かせてたことは間違いでは無いってことです!イエイ!!

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最後に

ちょっとしたくだらない疑問をまた下手なイラストと共にブログに書いてしまいました。

 

でもよく考えてみると変なことわざってたくさんありますよね。

 

だからこそなんとなくかっこよかったりもしますが...。

 

少しでも僕と同じような疑問を持ってた人に伝わりますように。

 

ばいばい。