【ワーホリ終了】2年ぶりに帰国しました
こんにちは、たくです。
突然ですが、今年の2月終わりに日本に帰国しました。
ワーキングホリデーでオーストラリアに行ったのが2018年の5月29日だったので、21ヶ月ぶりに日本に帰ってきました。
過ぎちゃえばあっという間と思うかもしれない2年間ですが、過ごしてる最中は本当に長かった2年間でした。初めての外国に2年間住んで、日本に帰国してみて、思うことは本当にたくさんあります。
全て書いてたらかなり長くなってしまうので、ここでは一言だけ。
おいコロナ!!
なんで俺の帰国のタイミングで流行っとんねん!
あほがああああ
はい、というわけでここからはオーストラリアに来た時と2年経って日本に帰国する時の気持ちなどを簡単に振り返っていきたいと思います。
初めての外国 日本からオーストラリアへ
先ほども書きましたがオーストラリアへ旅立ったのは2018年の5月29日でした。
普通外国に住むって友達とかに話すと、英語力の向上が目的かと思われるのがほとんどだと思います。しかし、僕はそうではありませんでした。小さい頃から好きだったハリーポッターを見てまず外国に憧れ、いつか行ってみたいという気持ちから入り、いつしか周りに家族も友達もいない環境で暮らしてみたいと思うようになったんです。
つまり「ただ住んでみたい」という憧れでしかありませんでした。そんな気持ちで外国に行くことを前々から決めていた僕は、実は英語力は皆無でした。(苦笑) 冗談ではなく大学に入るまで、Be動詞が分からなかったほどです。なぜかそれでも暮らせるような気がしていました。
大学を卒業して就職せずに外国に行くことは”一般的”ではありません。もちろん周りから心配されていました。帰国したらどうするのか、英語喋れないで生きていけるのか、せっかく大学を卒業したのに新卒を捨てるのか、治安が悪いから大丈夫なのか、初めての国外で急に住むなんて・・・等々、今思い返せば不安要素かなりあったと思います。
しかし、僕の中ではずっと憧れていたことでした。
英語が喋れなくても、就職できるか分からなくても、死ぬかもしれなくても、自分のやりたいことがやっとできる!そう思っていた僕は、不安というより楽しみの方が圧倒的に大きかったです。
多分みなさんもそうだと思います。
自分が今やりたいことをやる時、不安ってよりも楽しみややってやるぞって気持ちの方が大きいと思います。
成田空港で家族に「行ってくる」って言ったあの時、『今から外国に住んじゃう俺カッケェ』なんて思いながらゲートを潜りました。笑
そしてワクワクドキドキしながらケアンズ行きの飛行機に乗りました。
約9時間程のフライトだったと思います。景色を見たいから窓側の席を取ったのですが、なんと隣に外国人の方々が座ってしまったんです。英語を話す度胸もない僕はまずここで一つ目の問題にぶちあたりました。『今から外国に住んじゃう俺カッケェ』なんて思いながらゲートを潜ったのにもう問題にぶち当たったんかい!って感じですが・・・笑
どんな問題かというと、隣に外国人の方が座ってしまい、夜の便かつ9時間のフライトですから当然ながらに寝てしまったんですよ。
そこで僕はこう思ったんです。
ト、ト、ト、トイレ・・・・((((;゚Д゚))))))
そうです。トイレ行けないじゃんってなったんです。
一見トイレ行くくらい話しかけれるでしょと思う人もいるかもしれません。でもこれはオーストラリアに行ってから重々感じたことですが、英語って単語とか文法とかよりも話す度胸が一番難しいんですよ。
想像してみてください、トイレ行きたくなったらどうしようという不安を抱え、隣には寝ているゴリゴリの外国人、話しかけるにも英語じゃなきゃいけないし起こさなきゃいけません。
さあ、あなたならどうやって起こしてなんと話しかけますか?
外国旅行に慣れている人だったら簡単なことかもしれないです。しかし僕は全くの初心者ですから、もうその問いの答えを出すのを諦めました。諦めるという答えを出すのに時間は必要ありませんでした。なぜなら僕の頭の中では、その時点で英語を話すっていう選択肢が一ミリもありませんでしたから。
それがワーキングホリデーで日本を飛びて出て1発目の問題でした。
オーストラリアに着いてからどころか、日本の成田空港で最初の問題にぶつかったのです。新しいチャレンジをするとそう上手くはいかないもんですね。
そんな些細だけど大きな壁にぶちあたっていた僕は、不安を抱えつつ飛行機に乗る前に母親から貰った手紙を離陸した後に読みました。まぁもう22才ですから、普段母親と照れ臭い話なんかしませんし、母親だって僕に弱いところを見せたり本音を言ってきたりはしていませんでした。
だから手紙を読むのはちょっぴり照れ臭かったです。
しかし内容は「さすが母親」だなといった内容でした。そして、それまで余裕の表情をして外国に住むことを軽く考えていた僕でしたが、それは強がっていたんだ分かりました。
手紙を読んだ僕の目には涙がありました。
楽しみ、緊張、不安、寂しさ、いろいろな感情が込み上げてきたんだと思います。だからこそもっともっと頑張ろうって気持ちになることができました。そんな気持ちで日本を旅立ったのを今でもハッキリと覚えています。
そして無事(お漏らしすることなく)オーストラリアに着いてからは、全ての知らない世界に心が躍り、目をキラキラ輝かせていたと思います。
そこから住む予定の家に行くまで全て英語でバスの乗り方すら分からなかったけど、意外とスラスラと順調にいったので不安て言うよりはずっとワクワクしていました。でも家に着くと急に疲れがどっときて、その日はすんなり寝てしまいました。
問題あり、涙あり、わくわくあり、最初からいろいろと慌ただしい感じで僕のワーホリ生活は幕を開けました。
2年後 オーストラリアから日本へ
そして時は流れ約2年後の2020年2月、僕は日本に帰国することになります。その間一時帰国などもしなかったので本当に約2年ぶりの日本でした。
正直な気持ちを言うと早く帰りたくてたまらなかった。
時間は過ぎちゃえばあっという間に感じますが、過ごしてる間は結構長く感じることが多いように思います。2年間オーストラリアに住んでいた僕は、正直オーストラリアの環境に慣れてしまっていて、少しだけ飽きてしまっていたんです。
当然ですが僕の母国は日本です。居て楽なのも日本です。家族もいる、友達もいる、言葉も通じれば、住んでる人たちの文化や性格も似ています。オーストラリアに少し長く住んで、生活が安定してしまっていたら「慣れた環境」という意味では日本と変わりありません。オーストラリアに来たての頃は全てが新しくて刺激的な毎日でしたが、そのドキドキワクワクがないのであれば、生活するなら日本の方が便利だし楽なわけです。
だから僕は日本に帰国する時、正直やっと帰れると思ってしまっていたんです。
でも、だからといってオーストラリアの良いところや、経験したことを忘れた訳ではありません。本当にこの2年間すごく濃厚な時間を過ごすことができたと思っていたし、一つ一つの思い出が日本にいたらありえないようなことばかりで、その記憶は頭の中にしっかりとありました。
特に、僕はオーストラリア生活の中でもタスマニア島というところに一番長く住んでいたのですが、そこで住んでたシェアハウスは僕のもう一つの家だと言えるくらいにまでなっていたので離れるのはとても寂しかったです。
田舎にある一軒家ですが、オーナーがすごく良い人で面白い人でした。だからそこのシェアハウスに住む人はみんな良い人で毎日本当に楽しかったです。国もバラバラなら文化もバラバラで、一緒にスポーツしたり釣りをしに行ったりしました。
僕が日本に帰国するってなった時にはみんなハグして送り出してくれました。本当に温かかったし、そこには肌の色とか髪の色とか話す言葉なんて全く関係なく、友達として「また会おう」の一言でお別れしました。
これがその時の写真です。
みんなのいい笑顔は忘れられません。
まだまだたくさんの思い出話があります。
家も仕事もなくて車中泊したこと
仕事仲間とパーティしたこと
日本全国に友達ができたこと
イタリア人や台湾人と喧嘩したこと
世界一の年越し花火を見たこと
大自然と触れ合ったこと
フルーツをたくさん採ったこと
ちょっと悪いことをしたこと
仕事仲間と競い合って褒めあったこと
カジノをしたこと
差別されたこと
初めて買った車とお別れしたこと
英語が分からなくて大恥かいたこと
世界中にかけがえのない友達ができたこと
あげたらキリがないくらいたくさんの思い出があって、今でも全てハッキリと思い出すことができます。オーストラリアに初めて来た時の僕に比べたら考えられないくらいの経験をして、かなり成長できたと思います。
日本に帰国する時「正直やっと帰れると思った」と言いましたが、帰国してから少し経ったとき、それは一時的な感情だったと分かったんです。
僕はオーストラリアが大好きです。
オーストラリアに行ってよかった。
周りに合わせずに自分のやりたいことを選んでよかった。
オーストラリアでの時間は全て僕の貴重な財産です。
またみんなに会いたい。
またあの景色を見たい。
またあの場所に行きたい。
また何かにチャレンジしたい。
そうやって思えること
ワーホリをできたこと
無事日本に帰ってこれたこと
関わってくれた全ての人に感謝の気持ちでいっぱいです。
最後になりますが
オーストラリアで見た最後の朝の景色を貼って終わりにしたいと思います。
またいつか。
本当はまだまだ振り返って書きたいことがたくさんあります。この約2年間はこんな数千字程度に収まるような内容ではありません。写真もまだまだたくさんあるのですがあまりにも長くなってしまいそうなのでこの辺で。
というわけで
こうして僕のワーキングホリデーは終わりましたとさ。
ばいばい