一つの迷いと決断で僕は自由になれた

こんにちは、たくです。

 

いつも通りはてなブログのホームページを見てると面白いPRを見つけました。

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【りっすん ブログコンテスト 「迷い」と「決断」】というコンテストのPRです。

 

なにが面白いって「迷いと決断」というテーマが深くて面白いじゃないですか。

 

しかもコンテスト!!

いろんな方がこのテーマのエピソードを書くというのはなんとも興味深い。

 

でももし僕が参加して奇跡的に賞をとったとしても、外国にいて商品を受け取れません。なので自分の体験エピソードだけを書いて参加するというよりは、これを機に「迷いと決断」について自分がどう考えてるのかを書きたいと思います。 

迷いと決断

何度も言いますが、「迷いと決断」てすごい面白いと思うんですよ。

 

人間って大小関わらず常に迷っていて常に決断しなければならないことがあるじゃないですか。

 

例えば迷いに関して言えば

 

夜ご飯何食べよう

遊び行こうかな

どのテレビを見よう

トイレに行こうかな

仕事やめようかな

人生どう生きようかな

 

という迷いや

 

告白しようかな

好きな子に連絡してみようかな

ナンパしてみようかな

 

とかって迷いもあれば

 

死のうかな

 

って迷いもあります。

 

そして、決断も人それぞれ違います。

 

今日の夜ご飯は、お寿司にしようという決断もあれば

今日の夜ご飯は、カレーにしようという決断もあります。

 

もっともっとたくさんの決断が人によってあるわけです。

 

中には僕と同じ迷いと決断を持ってる人がいて理解できることもあるけど、なんでそんなことすんの?って考えられない決断をする人もいます。

 

例えば、「迷い」の例で最後に挙げた「死のうかな」っていう迷いは、はっきり言って理解できないです僕には。

 

でも世の中にはそう迷って大きな決断をした人がいて、それに共感する人もいます。

 

そして僕が興味あるのは、1つの迷いが他人の影響で生まれることもあるし、他人の決断を見て自分も決断するってことがザラにあるということです。

 

僕たち日本人は周りを見て行動するってことが多いし、決められたレールの上を歩まなければいけない風習があるから、迷いと決断が自由にしにくい気がします。特にオーストラリアに住んで、仕事したり生活しているとそう感じます。

 

例えば僕は今年新卒2年目の代ですが、インスタのストーリーとかを見ていると仕事に対する悪口や「やめようかな」「転職しようかな」って迷いをよく目にします。

 

でもそうつぶやいてる人のほとんどが仕事も辞めずに転職を選んでいません。

 

なぜなら「就職してすぐやめるのは履歴に傷がつく」という世間の目があるから。

3年もしないうちに辞めたら周りの人にそれなりの評価をされるって思ってるから。

 

「石の上にも三年」

 

仕事をやめるやめないの話がでるとよくこの言葉を耳にします。

 

しかし僕が思うに、この言葉は好きなものに対してのことであってやりたいことが明確に決まっている時に使う言葉だと思うんです。例えばスポーツ選手のように、練習を毎日毎日して辛いけど、それでも頑張って練習を必死に続けたらプロになれたり報われるってことなんだと思うんです。

 

つまり、やりたくないことをどんだけ続けたって、やりたくないんですよ。

 

なのに上司や他の人にそう言われて仕事を続けるっていう決断をする。

 

これは決して自由に決断できてるとは言えないと思うんです。他人によって生じた迷いであり決断です。

 

僕はそういうタイプではないので、こういう迷いや決断が理解できません。だからと言って別に否定してる訳ではなく、そういう人もいるんだと単純に興味があるんです。

 

だから「迷い」と「決断」というのは、人を知るって意味でもすごい大切なことだと思うんです。

 

この人はどうしてこういう迷いをしてるんだろう、どうしてこういう決断をしたんだろう、誰かの影響なのかな、とかって考えるとその人の個性が見えてくるような気がするんです。

 

自由な「迷い」と自由な「決断」

さて、迷いと決断から個性が見えると書きましたが、せっかくなので自分の過去を振り返りながら僕の「迷いと決断」に対する心がけを書きたいと思います。

 

僕は、幼稚園卒園と同時に親の離婚を経験しています。

ある日突然母親に連れられ住んでた家から出ていきました。大好きだったお父さんを置いて。

 

そして小学4年生のとき親が再婚して、ある日突然勝手に名字が変わりました。

僕の小学校では4年生まで1クラスしかなかったので、学期始まりの朝会で先生が僕の新しい名前を呼んだとき、クラスのみんなが「え、だれ?」みたいな雰囲気になりました。そして僕が返事をすると、クラスのみんなはシーンとして小4ながらになんとなく大人の事情を察した雰囲気に変わったんです。返事した僕は誤魔化すような振る舞いをして、顔を真っ赤にしながら苦笑いをしたのを今でもはっきりと覚えています。

 

正直その時は辛かったけど、それは事実だし大人になった今では仕方なかったと思っています。別に親を無責任とも全く思わないし親が悪いとも思っていません。

 

けど、その時の僕は親によって勝手に僕の人生を決められたと思っていたんです。だから、まだ子供の時に親と喧嘩したり上手くいかないことがあると、それを理由にして親のせいにしてたんですなにもかも。まだ子供だったけど、ムキになった時にそうやって親のせいにしてしまう自分がめちゃくちゃ嫌だったし、言った後に罪悪感も感じていました。

 

ちなみに幼稚園の頃の僕は、靴が嫌いで常に裸足で行動してたり、自由奔放で幼稚園を脱走したり僕一人に先生が付くなど、まさに自由に生きてるって感じでした。しかし、気づけば小学校からは周りの目を気にするようになって、それから高校卒業まで異常なくらい周りの人に気を使って生きるようになっていました。

 

高校生になっていろいろ考えるようになった時「自分は他人に気を使うのを前提として迷い、決断してるな」と思ったんです。行きたくない遊びに行ったり、友達のために自分が我慢したり、本当はやりたいことを周りの目を気にしてやらなかったり。

 

決して楽しくなかった訳じゃありません。今でも高校生に戻りたいと思うし、普通に楽しかったです。でも自分はこのままでいいのかと考えたときに、もっと自由に生きれたらいいなって思ったんです。

 

そんなことを考えているうちに、だんだん現状が嫌になっていきました。人に気をつかって生きているのが。嫌なことはしたくないしやりたいことをやりたいのに、他人の目を気にすることによってそれが縛られる上に、そうして取った行動で後悔するとどこかで他人のせいにしてしまっていたんです。もちろん失敗を恐れて恥じるようにもなりました。

 

そして小学生の時から形成されたこの性格を、子供の頃の家庭問題が原因だってまたそれも家庭のせいにしてたんですよ。

  

そうやっていっぱいいっぱいになって分からなくなって迷った僕は、「自分を変えなきゃだめだ」と思って大学入学と同時に、一緒にいた友達との関係をキッパリやめるという大きな決断をしたんです。

 

もちろん、一人ぼっちになりました。

 

気にすることがなくなった僕は、周りに気を使って生きるのではなく、やりたいことをやろうって強い意志を持つようになりました。

 

また親や他人の影響で自分の人生を決めて、失敗した時にその人たちのせいにしたくないから。失敗を恐れたくないから。

 

自由に迷って自由に決断して自分の人生を歩みたいと思ったんです。

 

そうやって環境をリセットして強い意志を持った結果、自然と大学で新しくできる友達はみんな一緒にいて素でいられる人ばかりだし、本性で生きることができるようになりました。まさに「類は友を呼ぶ」って感じでした。

 

そして僕は、大学卒業後から新卒を捨てて外国に住んでいます。これもずっとやりたかったことではあるけど、新卒を捨てることや帰国後の就職などを理由に反対されていました。また、日本では圧倒的に批判の声が多いタトゥーにも興味があり、反対される中で入れる決断をしました。今こうしてブログを書いてるのだって、周りを気にせずやりたいことをやれてることの1つです。

 

これらの迷いと決断が間違っているかはどうでもいいんです。

なにが正解で何が間違いかはやって確かめたい。それが僕のモットーです。たとえ失敗だろうが自分のせいだし、僕にとって大事なのは自由に迷って自由に決断をできたことなんです。

 

ただ1つはっきりと言えるのは、友達との関係をキッパリやめるという大きな迷いと決断は僕にとって大正解でした。

 

その迷いと決断は、僕を自由にしてくれたから。

 

最後に  

ついつい熱くなって長くなってしまいましたが、これが僕の「迷い」と「決断」に対する考えです。

 

人生にはたくさんの「迷い」と「決断」があり、これは永遠のテーマだと思います。

 

そのテーマと自分はどう向き合って生きていくのか

 また、他の人はどう向き合って生きているのか

 とても興味のあるテーマだと思いました。

 

最後になりますが

 

まさに今、シメの決めゼリフを言うか言わないかで迷っています。

 

あーどうしよう。

 

これを言ったら引かれるかな・・・

 

迷うなぁ。

 

いや、でも後悔したくない。 

 

よし、言おう。

 

 

 

ルネッサーンス🥂

 

 

 

(最後の言葉が意味わからない人は是非下のページに飛んでみてください)